千代田九条の会
ニューズレター No11(2006.9.25)


ニューズレター No11(2006.9.25)

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ニューズレター No11(2006.9.25)
web版
<事務局連絡先>千代田区猿楽町1−3−5 久野ビル3階

よびかけ人代表 鍛冶俊秀、隅野隆徳、中川雄一郎

* シリーズ学習会「憲法問題を考える」、第四回「戦争体験を語り継ぐ」が開かれました!
 9月20日水曜日、富士見区民館でシリーズ学習会第四回が開かれました。
 今回は「戦争体験を語り継ぐ」として、戦争体験を持った千代田区の人を語り手として、小谷さん、女子学院卒業の鵜沢さん、古書店の奥平さん、そして若い女子学院卒業生二人に参加していただきました。

 元女子学院教師の小野田明理子さんの司会で始まりました。

 開会あいさつは千代田区労働組合協議会事務局の伊部さんから、自民党総裁選で「5年以内に憲法を変える。今年中に教育基本法を変える」と公言した安倍氏が選出され、26日からの国会が大きな闘いの時期になる事が強調されました。
以下、発言の要旨ですが、詳しくは別途作成したいと思います。今回は簡単な紹介にとどめ、文書の上でも不十分な所はあると思いますが、とり急ぎ事務局のメモをもとに作りました。ご容赦ください。


[小谷さん]
 8ページ建ての資料を準備していただきました。特に戦争に入る前の時期が大事だと強調されました。近所のやさしいお兄さんがある日逮捕されたという話を聞き、お母さんに聞くと「アカだから。でもそれは口にしちゃいけないよ」といわれた。
 学校には当時天皇の「御真影」を奉った祠があった。その前を通るときには止まって頭を下げなければならなかった。急いでいたので一度そのまま通りすぎたら、職員室に呼び出されて説教された事。
 「となりぐみ」という制度があって、助け合いと言う反面お互いを監視し、上意下達のための組織でもあった。電球の明かりが漏れているとか、なにかといろいろ言ってきた。そんなのが復活したら大変です。
 戦争までの流れを見ていくと、今、憲法を変える、教育基本法を変えるなど、危険な流れができてきている。大切なのは、戦争反対の声をもり立てる事。黙っていたら認める事になってしまう。
 2年半前に娘をガンでなくした。悲しみは薄れない。それと同じ悲しみを戦争中のお母さんたちはだまって耐えていた。そのような事は許せません。




[鵜沢さん]
 
 昭和6年(1931年)9月に生まれ、1年生の時に ずっと東京にいて、戦争で崩壊していくのを見た。
 1958年、早乙女勝元さんたちが編集した5巻セットの本「東京大空襲・戦災誌」がある。このなかに自分の文章も乗っているのでそれを紹介します。(以下、朗読、要旨)
 昭和17年(1942年)4月17日、空母ホーネットから飛び立ったB25爆撃機による初めての空襲で荒川、王子、小石川などが空襲を受ける。
 疎開先で生後半年の弟の世話と、食料調達をやった。しかし、妹も弟も泣いてばかりで、親戚にも肩身が狭く、東京へ戻ってきた。するとピタリと泣き止んだ。
 1944年、女子学院2年生の時に学徒動員。日の丸の鉢巻きをしめてみんな仕事をした。先生の計らいで安全な郵便局などでの仕事だった。このころは空襲で死体がでても何も感じなくなっていた。学校ではキリスト教なので礼拝だけはやれたが、敵国語の英語などは授業になかった。礼拝のときだけ、我を取り戻す事ができた。岩波文庫などをむさぼるように読んだ。
 1945年4月20日、これまでと違い間断なくB29が押し寄せて焼夷弾を落として行った。
 家は頑丈にできていたが、瓦が暑くなり、その下の木材が熱で火を吹くまでになって焼けていった。みんなは逃げまどうばかりで、消火訓練などは役に立たなかった。翌日、焼け跡に帰ると家は無く、水道の蛇口も溶けていた。国民学校に「罹災者」として避難して、しばらくしてやっと玄米の小さなおにぎりが配られた。




[奥平さん]   私は神保町の古本屋で、父で2代目。その父は1944年3月に南方洋上で亡くなりました。
 鵜沢さんが言われた「東京大空襲・戦災誌」は5冊セットで7千円ぐらいで買えます。
 先程の話にもありましたが、アメリカ軍は良く調べて爆撃を行ったようです。皇居と東大、そして神田の古本屋街は日本に留学した事があるアメリカ人たちが残してくれと要請したようで、爆撃されませんでした。
(地図をもとに説明) 靖国通りに面した本屋は残ったが、水道橋に向かう白山通りの本屋は全滅した。
 先程の東京大空襲の後、5月になるとすぐに本を読みたい人が古本を求めにきた。空襲の合間に、地方に行って昔の名家や元武家などの家から、買えるだけ買って空き家になった近所の家に本をため込んで終戦を待っていた。本は火や水が大敵です。
 平和だからこそ本屋は商売できる。平和でなければいけない。そういう思いでいます。




*このあと、参加者からの一言
 始めに女子学院卒業生で、現在大学生の二人が発言しました。この二人は、中学3年の国語科の宿題で、父母、祖父母から戦争体験を聞き、それを400字詰め原稿用紙10枚以上の物語にして書くという課題から感じた事を語ってくれました。


[Yさん]
 国際キリスト教大学(ICU)の2年生です。日本教育史を学んでいます。安倍晋三は9月に授業を始めると言いい、4月からの半年間に社会で働けといっています。勤労動員の話を思い出しました。母方の祖母に話を聞きました。その当時の話を涙を流しながら話してくれました。今、ボランティア・フォー・ピースという所で活動していますが、ヨーロッパの人は平和の事や戦争の事を知識で知っています。しかし、私の経験したような、身近な人からの戦争体験というものは無く、実感に乏しいと感じました。「聞き書き」の話をしたらびっくりしていました。





[Nさん]
 慶応大学フランス文学科3年生です。祖父からの話を聞きましたが、私の祖父は大変な話というよりは、嬉しそうにして5年生で予科練に言った事を話してくれました。その祖父が昨年なくなり、一番話をした時間がその「聞き書き」の時でした。
*これ以後、続いて20代の発言。



[日隈さん]
 大学院で考古学を学んでいます。考古学というのは戦後になって初めてまともにやれた学問です。戦前はまともにやると天皇の問題にぶつかったためにやれなかった。
 24日に学生九条の会で「九条カフェ」という集まりをやります。是非参加してください。
[慶応大学教育学部3年生]
 教育学部に入学しました。今日の話はいろいろ考えさせられました。普段あまり考えずに生活してしまうため、今日のお話を学んでいきます。


*70代の人の発言です。
[西沢さん]
 兄が兵隊に行って戦死しました。九条を守りたいと思います。
[浅野さん]
 元女子学院の教師です。私は1935年生まれで、戦争の経験がありますが、ただお腹が空いた事だけは覚えています。また、9才のころ、小学校で大まじめで竹槍訓練を行いました。今にすれば馬鹿げた事ですがそうした経験を持っています。
[内海さん]
 1938年生まれです。本屋に勤めていましたが、定年でやめています。小学1年の時に終戦となり、戦後の食料難だけが頭に残っています。
[新井さん]
 1937年生まれです。元私立学校の教師でした。日中戦争の1週間後に生まれたという事だけは頭にのこっています。小学校の時は与えられたものをそのまま受け入れていました。やはり恐ろしいもので、そういう教育に戻してはならないと思います。
[小野田さん]
 1938年生まれです。北区滝野川という所で生まれ、育ちました。
小さいころ、出征兵士のお母さんが、人目につかない横の方で泣いているのを見て、自分の母親に言うと「それは嬉し涙だ。でも人には言ってはだめだよ。」と言われ、へんだなと思いました。
 戦後、大きくなってから、戦争は人が起こすものだという事が分かり、また阻止できるものだと知ったときは嬉しかった。


[お知らせ]

*11月17日 千代田九条の会 講演と音楽の夕べを開きます!

・日時 11月17日(金)午後6時半開会
・会場 全電通会館(JRお茶の水聖橋口、東京メトロ新お茶の水)
・参加協力費500円


          

  伊藤千尋さん(朝日新聞記者)  
   講演「9.11を体験した記者が語る−世界、日本、そして憲法」
  


               
  佐藤真子さん(歌手)
   「佐藤真子、平和を歌う」−君死にたもうことなかれ、リリーマルレーンほか
  あいさつ 中川雄一郎(明治大学教授、千代田九条の会よびかけ人代表)
  その他
 ぜひご参加ください。