千代田九条の会
ニューズレター No14(2007.5.31)


ニューズレター No14(2007.5.31)

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ニューズレター No14(2007.5.31)

<事務局連絡先>千代田区猿楽町1−3−5 久野ビル3階

よびかけ人代表 鍛冶俊秀、隅野隆徳、中川雄一郎

国民投票法の強硬な採択に抗議します
  
千代田九条の会 2007年5月19日
 
 5月14日、国民投票法が参議院本会議で自民、公明の与党により成立させられました。
中央公聴会を開かず、地方公聴会で与党側参考人からも「拙速な採決は避けるべき」という声が出されていました。最低投票数も決めず、公務員と教員500万人が何も言えなくなるなど、およそ憲法を改定するにふさわしいとは言えない内容になっています。
 これからが本番です。国民の過半数の確固な反対の世論を作り上げることです。あらゆるところで九条の会を作り、広げていきましょう。



[今回は長いですが、3月と5月の学習会の内容を報告します]



*3月14日シリーズ学習会「戦争体験をきく」が開かれました
 千代田九条の会が定期で開催しているシリーズ学習会が3月14日夜、万世橋区民館で開催され20名が参加しました。
お話は、神保町三丁目在住の沼田徳蔵さんと、元九段中学校音楽教師の米沢純夫さんでした。以下に講演要旨を紹介します。



沼田徳蔵さん
 日本がアメリカに宣戦布告した時に「ほんとうに勝てるのかな」と思った。5月17日に応召され千葉県佐倉の歩兵57連帯に入隊。すぐに「満州」(中国東北部)へ行かされた。出征の時には皆からは「天皇陛下のために戦って死んで来い。靖国神社に祀ってやるぞ」と言われた。ところが家に帰ったら親父からは「命を無駄にするなよ。元気で帰って来い。待ってるからな」と言われた。
 貨車で寒い中国大陸を移動した。孫呉の第110部隊重機関銃中隊に所属した。
 終戦が近くなりソ連が参戦してきた。
日本に帰れると思ったら、ソ連へ連れて行かれた。3日間行軍して、1日目は立ち上がれないほど疲れたが2日目からは慣れた。ギルダーの収容所へ入れられた。炭鉱夫として1日8時間働かされたが、300gの黒パンとスープしか与えられなかった。みんな痩せ細っていった。
 金森上等兵は妻子もちで体格も良かったが、瞬く間に痩せて栄養失調に。「沼田、この戦争は何だったんだろうか?俺が死ぬだけの値打ちがある戦争だったんだろうか?生きる気力がなくなった。死んだら埋めてくれよな」と言ってまもなく死んだ。
 穴を掘るにも凍土でツルハシが跳ね返される。焚き火をして溶かしてから穴を掘って埋めた。自分は芋を盗んで食べた。金森上等兵にもあげたが、栄養失調になってしまうと体が受け付けず、下痢をして身に付かなかった。見つかれば銃殺で今考えるとぞっとする。
 父の言葉の「待ってるからな」が頭から消えず「こんな所で死ねない」とがんばった。
 一緒にいた仲間は全員レイテ島に行くために乗った輸送船が、アメリカの潜水艦に太平洋で撃沈され全員が死んだ。自分は風邪をひいて高熱のため行けずに助かった。
 いま街頭演説をする時には「戦友の分までしゃべるぞ」と言う気持ちで話している。 ソ連の兵士は「あなたと戦わなくて良かった。あなたと私は何の恨みも無い。国の命令で殺しあう、こんなむなしいものはない」と言った。以後彼とは友達になった。
 何の罪も無い人を2000万人も殺した。戦争ほどバカなものは無い。
 戦争する前に、国と国とが話し合えば良い。安倍首相は憲法を変えると言っているが、九条の会がこれから真価を発揮して九条を守らなければならない。
 1年半の兵隊期間と、3年半の抑留を経て、昭和23年(1948)9月に帰還した。品川に迎えに来た親父は「おまえも苦労をしたな」と涙を流して喜んだ。
 家に帰ると親父たちは米が無いのでジャガイモを食っていた。よくよくジャガイモに縁があるなと思った。



[米沢純夫先生]
 九段小学校で音楽教師として17年間、最後の7年間は神田小学校で知的障害児学級を受け持ってました。
 太平洋戦争開戦時は旧制中学校1年生で、ラジオのニュースで知った。
 新聞に載った真珠湾攻撃の爆撃機が足が出たまま飛ぶ旧式なので「(欧米に比べて)劣っているのでは?」という気がした。
 中学4年の時に軍需工場へ。ターボエンジン関係の部品を作っていたが月に10個、合格品は1〜2個だった。「これでは勝てるわけないな」と思いながら「神風」を信じていた。
 軍国主義教育が一番徹底したのは昭和16年(1941年)、小学校が「国民学校」になってからだった。
 国民学校1年生で教える唱歌のうち、軍国主義教育に関係するのは3曲。5年生では22曲もある。(別紙参照)
 例えば、「特別攻撃隊」という歌は、真珠湾攻撃で敵の船に体当たりする2人乗りの魚雷で、乗っていた9人を「軍神」と称える内容だ。
 「春の小川」や「村の鍛冶屋」も内容を戦争鼓舞に改悪された。
 このように文部省唱歌は忠君愛国の教育のために作られたが、もう一方で「歌と言うのはそういうものではない」とがんばった人もいた。吉丸一昌作詞の「早春賦」は中田章がモーツアルトの「春へのあこがれ」を真似て作曲したものだ。
 東京音楽学校の生徒だった芥川也寸志と團伊玖磨は陸軍軍楽隊に入れられたが、宿舎で「海」をラジオで聞いて、3番の歌詞に、「海外には自由がある」と思い共に泣いたという。
 音楽とは、長い短いは関係なく、本質的なことをどう歌っているかが大事。同時に、どんな厳しい時代であっても、その中で本質的なことを何らかの形で表現出来る。
 戦後は、音楽を道徳教育の手段で使われた戦前の反省の上に立って、教育基本法で「音楽は芸術、それ自体が目的である」となった。
 音楽とは自分を表現していくもの。これからも憲法を守る立場でがんばっていきたい。





* 第7回シリーズ学習会 開催される。

 2007年5月18日金曜日、午後6時45分から、神保町区民館で千代田九条の会第7回シリーズ学習会が開催されました。「平和・宗教者の立場から」と題して、日本キリスト教団番町教会の牧師横野朝彦さんと、日本山妙法寺僧侶の武田隆雄さんを講師に迎えて開かれました。
まず始めに横野朝彦さんは、教育基本法の改悪、国民投票法の強行採決、教育三法の成立見込み、沖縄の基地反対運動に自衛隊が出動するなど、かつての戦争時の悪夢を見る思いだと話し始めました。
今、キリスト教は評判が悪い。その理由はブッシュ大統領がキリスト教信者だからです。
さかのぼれば十字軍などキリスト教は一神教で排他的だという批判もある。

 朝日新聞は04年社説で「多神教を歩こう」と題して一神教同志のいがみあいが絶えない事を説いた。養老孟司はイスラム教、ユダヤ教、キリスト教は一元論であるとし、21世紀は一元論にならないようになど、一神教への批判が目につく。
 これらは日本のかつての過ちをおおいかくす役割を果たしている。キリスト教はヨーロッパの文化とともに日本に入ったが、その後キリスト教は「敵性宗教」とされ、圧迫を受けた。多神教の国はこれまで戦争をしなかったのか?一神教だから戦争を起こすのではない。パレスチナ戦争は宗教戦争ではない。アメリカがあの地域に橋頭堡を作ろうとしたことがすべてだ。
 唯一神への信仰は、神のみを絶対とすることであって、すなわちそれは人間の思想や行動は相対的なものだと認識する事である。聖書は多くの人によって書かれた。聖書は戦争を「聖戦」としているところもあるが、比較的後の時代に書かれた文書、ユダ王国滅亡後に書かれたイザヤ書などは、民族の苦難のなかから得た平和主義が述べられている。
 旧約聖書の預言者は迫害され、キリストは権力者を批判したが、敵を愛する事、そのためには自己犠牲が必要と説いた。日本の憲法九条も戦争の苦難から生み出された。今、日本のキリスト教は右傾化している。戦後、日本キリスト教団は戦争責任を告白したが(1967年3月26日)、そのためキリスト教は社会問題を取り組みすぎたとして、政治から離れようとしている。イエスは平和を守るために十字架に向かった。これを日常の社会の中で具体的に考えていく事が重要だと思う。
日蓮宗系日本山妙法寺僧侶の武田隆雄さんは、まず宗教者九条の和の活動を紹介しました。
 この間毎日国会へ要請行動に行った事を紹介しつつ、どうしたら憲法九条が守られるかの一点で取り組むことが大事だと述べました。
憲法九条を守ることは、政治行動というよりも、命を守る宗教の教えと一体のもの。青山学院短大で講義したことがあるが、そこで紹介したのは宮沢賢治の言葉で、「世界人類が幸福でなければ個人の幸福はない。」
 街頭で宣伝していると「北朝鮮が攻めてきたらどうする」と詰め寄ってくる人がいる。洗脳されているようだ。こういう人にはカウンセラーのようにやさしく言うと変わっていく。「九条守ろう」の声が広がってきている。これを一人でも多くの人に広げていく事が大事。




質疑、討論
 ・宗教者九条の和は1500人の宗教者が加わっている。署名は約3万人分国会 に提出した。アジアの宗教者の集いが今年の秋、東京で開かれる。
 ・草の根の運動を広げる事が大事。
 ・キリスト教信者は日本の人口の1%。一人一人が考えて選挙の時にはっきりした 態度をとる事が大事。
 ・マスコミを動かすためにファックスや電話、投稿などは大事だ。
・初めて参加した。高度成長の中で育ち、先輩が挫折していくのを見て「平和」も避けてきた。今日は良かった。静かな感動を覚える。無理して来て良かった。
・九条の会の運動を目にした人は多いはず。必ず広がっていく。




島田修一弁護士の閉会あいさつ
 国民投票法反対の署名は大阪が100万、東京は60万。埼玉50万。対話していく事が大事。
対話するためには学習が大事。数寄屋橋のアンケートでは国民投票法は8割りの人が知らなかった。知らない中で無理やり押し通した。国民投票法の強行採決は憲法九条への宣戦布告。これからのたたかいが大事。
 まず実施させないよびかけが必要。公務員や教員あわせて500万人が何も言えないな
どは許されるものではない。
 秋には憲法審査会ができる。「改憲案」は作れないが「改憲の骨子」は作れる。有料コマーシャルを事実上野放しにした問題もある。
 改憲を許さない多数派をどう築くかが重要。神憲法制定議員連盟(会長中曾根康弘)などは「護憲派の運動に対抗する」などと言っている。
 国民投票は投票所に足を運び、反対に○を書いてもらわなければならない。運動なくして九条は守れない。「九条は戦後の日本の背骨となった」というある女性の発言はその通りだと思う。これからも頑張りましょう。
                      以上、文責 鈴木、浅野