千代田九条の会
ニューズレター No27(2010.3.29)


ニューズレター No27(2010.3.29)

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ニューズレター No27(2010.3.29)Web版

<事務局連絡先>千代田区猿楽町1−3−5 久野ビル3階

よびかけ人代表 鍛冶俊秀、隅野隆徳、中川雄一郎

 千代田九条の会発足5周年記念
 早坂暁さん講演会
〜「夢千代日記」と憲法九条〜
  3月19日(水)夜、千代田九条の会・明治大学九条の会・明大学生9条の会共催による、千代田九条の会発足5周年記念講演会が開かれ、作家・脚本家の早坂暁さんが「夢千代日記」と題して講演されました。
110人を越える参加者は、原爆の悲惨さを目の当たりにした早坂さんのお話を聞き、このことを次世代に語り継ぐこと、核兵器をなくし憲法九条を守り生かしていくことの大事さを学びました。
浅野義生さんが開会あいさつ
浅野義生さん 冒頭、浅野義生さん(千代田九条の会事務局次長)が「この3月で千代田九条の会は5周年を迎えました。この間学習会・後援会、署名活動などを行ってきました。千代田で50近い九条の会があり、昨年には地域九条の会も出来ました。沖縄では米軍基地に島ぐるみ反対の大運動が展開されています。
このところ露骨な改憲は鳴りを潜めていますが、核密約や抑止のためなら核を認めるという防衛大臣の発言など、問題は多く残っています。早坂さんの話を胸に受け止めて明日からの活動に生かしていただければと思います」と開会のあいさつをされました。

 
早坂暁さんが講演
早坂暁さん 続いて、作家・脚本家の早坂暁さんが記念講演をされました。最初に「『千代田九条の会』・・会の中にとても大事な人が入ったらいいなと思います。それは天皇さんです。原爆で戦争に負けて、戦後憲法第一条に『象徴天皇』として身分を確保したのだから当然九条の会に入ると思いますよ」と、氏独特の語り口でお話をスタートしました。早坂さんの公演内容は次の通りです。


30年後にこの道でよかったなと思えるように
 日本国憲法は、戦争放棄というどこの国にも無い革命的な憲法です。しかしそれを認識していない人が居ます。どんな戦争であったかということをほんとうに分かってもらいたい。
 30年したら『あの時が人類の分かれ道だったなぁ』と子・孫に話す時期が必ず来ます。どちらに行くかまだ分からない、30年後にこの道で良かったなと思えるようにいま考えることが大事です。原爆が絶滅兵器だという認識を持っている人が少なくなっています。


復員途中で見た被爆広島の惨状
死体から何百、何千の燐が燃え
 私は15才で海軍兵学校に入り半年で敗戦になりました。
昭和20年3月に沖縄戦が始まり、佐世保は空襲を毎日のように受けました。そういう中で戦艦大和が沈んだのです。もともと大和に乗りたくて海軍に入ったのでガッカリしました。
 そのうちに天皇の放送がありました。甲高い声で感度の良くないラジオで聞いたがよく聞こえなかったです。最初「もっとがんばれ」という話かと思ったが、負けたということが分かりました。自分は故郷の松山へ帰れると嬉しかったです。上官が「海軍は消滅した。故郷へ帰れ」ということで、(国鉄の車両も少なくなっていて)貨物列車に乗って尾道から帰りました。
 宮島口に入ったら異様な匂いがしてきた。これは広島の匂いだなと思いました。
 新型爆弾が落ちたと言われていました。一発の爆弾で広島は消滅したと聞いていましたが、消滅するわけがないと思っていました。しかし、原爆で10万人が瞬時に死にその後死者は30万人に、100万人が負傷しました。
 雨がしとしと降っていた広島へ夜着きました。広島駅へ飛び降りました。駅も壊れていました。
 目を凝らしたら燐が燃えている。人の体から出た何百、何千の燐が。夢幻的であったですね。
 しかしそれを見て呆然としました。膝がガクガク震えました。広島出身の兵隊は家族を思い泣き出しました。
 その時、オギャーという赤ん坊の泣き声が聞こえたのです。とてもあの子は生きていけないだろうなと思いました。


見つからなかった妹。
広島に探しに入った母は髪の毛が抜けて
 夜が明けた広島はまるで掃除をしたような廃墟だったですね。
母が「はる子(当時女学校一年生の妹=実の妹ではなく、お遍路さんが置いていった子)が防府へ会いに行かなかったか?」と聞きました。いつ出かけたのと聞き返したら8月5日に出発したとのこと。原爆投下は8月6日。おそらく死んだとしか思えませんでした。
 母と一緒に探しに行きました。「来るんじゃなかった」と後悔しました。膨れ上がった死体が川に浮いている。臓物が出て[人間ではなくなった]遺体。焼いても焼いても焼けない。母親は泣き出して「帰る」と言いました。2度探しに行ったが見つからず、母は髪が抜けました。
 物書きになってから比治山の放射線影響研究所に行きました。そこの女性研究員(被爆2世)は「自分の遺伝子もこうなっている(異様に変形している)のかと思うと怖い」と言いました。


絶滅兵器原爆は禁止を――国際裁判所へ訴え
 (原爆を)落とした側は「お前たちだって真珠湾や南京でひどい事をやったじゃないか」というがそれは違う。絶滅兵器を落としたこととは違うと思います。
 原爆は人道に悖(もと)る兵器だから禁止しよう、とオランダハーグの国際裁判所へ、日本の被爆者団体などが提訴しました。自分も傍聴に行きました。
 判決が出ました。原爆は人道に悖る兵器であると認定したのです。その定義は非戦闘員を無差別に殺傷する兵器だからというもの。ここまでは良かったのです。「ただし、その国の命運を左右する様な場合は、その使用に当たって、当裁判所は関知しない」と述べた事にはガッカリしました。(判決は)人間の命よりも国家の命運の方が大事だということだからです。
 オバマさんに本を2冊贈りました。原爆とはどういうものか、子供の目から見た原爆を書いた本です。オバマさんが「広島に来たい」と言ったのは、本を読んでわかってくれたのかと思います。


被爆の実際を映像化したい。あの広島を再現したい!
 何とかあの被爆の実際を映像化したいと考えています。しかし廃墟を作る(再現)のは大変ですね。人間が虫けら以下の様に焼けてしまうような・・・・。CGは流行ですが「作り物」はリアルティに欠けます。
"あの広島を再現したい!"口で説明しても分からないから。


被爆者は連帯して声をあげよう
 アメリカやソ連でも被害はあるのです。
 アメリカでは、原爆実験をして人間にどういう影響があるのかを調べるため、(実験直後に)一部隊を建物被害を調べるという名目で行かせました。その隊員が後に次々と倒れ、白血病、ガンになりました。隊員たちは裁判に訴えました。裁判所は「白血病やガンになるのはお前たちだけではない。因果関係を自分で証明しなさい」と言いました。
 アメリカの図書館に、日本の北村医師が軍医時代に広島に乗り込んで調べた記録があったのです。これは日本では駐留軍が出版を許可しなかったものですがアメリカにあったのです。カルテを見た兵士がこれを見て「全く自分たちと同じだ」と、これを証明に使いました。
 南太平洋の島々ではフランスが何度も核実験をやっています。そこにも沢山の被害者が居ます。
 旧ソ連のカザフスタンにも原爆の実験場があります。沢山の被爆者がいます。
 被爆者は連帯して声をあげる必要があると思います。
 チェルノブイリでは原発事故で100万人の農民に被害が出ました。ウクライナの女の子は甲状腺をやられました。


米軍基地は、沖縄から出て行ってもらったらいい
 ニュージーランドがアメリカの原子力船の寄港を断りました。アメリカがそれでは守ってやらないと脅かしたが、ニュージーランドはきっぱりとそれで結構ですと言いました。
 沖縄からも出て行ってもらったらいい。抑止力がなくなるという人がいますが、海兵隊は何を守ったというのですか。基地があるから守られているというのは錯覚です。沖縄の基地は台湾・中国に何かがあった場合に必要だから作ったのです。
 アメリカの一番のガン細胞は軍部です。アイゼンハワー元大統領は最後の演説で「アメリカの未来を憂う。産軍複合体を一番憂う」と述べました。
 核兵器には賞味期限があります。どうやって捨てるか?アメリカはアラスカの岩盤の固い所へ地下60mにゴムで囲って埋めているが、ゴムだって耐用年数がある、地震が起こらないとも限らないのです。


原爆を持っていないというのが一番安全。戦争でなく外交で
 日本の防衛省予算は仮想敵国がないと組めないのです。保守派は「(日本が)中国の植民地になる」と声高に言っていますが、中国から日本に向かって原爆が打てますか。口実は?大義名分は?
 オーストラリアと日本が共同で"核を持たない"と決めたらいいのです。核を持たないところに核は打ち込めない!のです。かつてマクナマラはベトナムへ原爆を落とせと言われたが落とせませんでした。
 原爆を持っていないというのが一番安全なのです。戦争でなく外交で彼らを追い詰めていくしかないのです。そういう連合体をどう作るかが問題です。
 九条の会はもっと一致しろ!と言いたいです。九条の会が各町内にあったり、全国に非核宣言の町が沢山あるが、ばらばらでやっていてはだめだと思います。


 早坂さんのお話は予定の80分間を大きく超える熱弁でしたが、残念ながら今回の講演はここで打ち切らせていただきました。(中見出しは編集部。文責福島)



 
中川雄一郎さんが閉会のあいさつ
中川雄一郎さん 最後に中川雄一郎明治大学教授(明治大学九条の会世話人代表、千代田九条の会事務局長)が、「早坂先生のお話は半分悲しくて半分楽しい講演会でした。戦争の歴史を忘れてはいかんということ、九条の会の原点は何だろうということを先生はおっしゃっていたと思います。
 タクスアメリカーナ=何でもアメリカの言うことを聞く、というものをなくしていかなければならない。自立し独立して日本の将来を自分たちのこととしてしっかり考えていく。
 タクスアメリカーナというのはアメリカのもとで平和を維持していくと言うことだが、戦争だけでなく経済・文化もアメリカの元で進めていくという考えで、これは憲法の精神に反するものです。
 私たちは素晴しい憲法を世界に向けて発信していくということで平和を作っていく、歴史をしっかり頭に入れて九条の会を発展させていきましょう」と結びました。



参加者による感想から
◎戦争・原爆の生々しい恐ろしさ無残さを生き証人の方からお話を聞いて大変有意義な時間でした。
◎先生の広島での体験を伺い九条の力をあらためて認識しました。
◎今、日本のリアルな歴史が知りたくてたまりません。海外に行くことが多くなって9条のこと原爆のこと教科書問題etc、体験者の声が聞きたくて来ました。早坂先生はとても優しく明晰で、もっともっと話が聞きたい。
◎早坂先生の生の目で見た広島を是非映像化して頂きたいと思います。学生時代に原子力に係わった者として、原爆・放射能の恐ろしさは良く解ります。
◎ 原爆→その実験→原潜と指摘されましたが、その先に原子力発電があると思います。放射能の被害は同じです。


「夢千代日記」について
 夢千代日記(ゆめちよにっき)は、1981年2月から、NHKの「ドラマ人間模様」で放映された。主演は吉永小百合さん。
あらすじ
主人公の夢千代は、湯村温泉の置屋「はる屋」の女将。母親の胎内にいたとき、広島で被爆した「被爆二世」で、原爆症を発病しており、余命2年と宣告されている。物語はその夢千代を取り巻く人々の生き様を山陰の冬景色を背景に物悲しく描く。ストーリー展開は夢千代が毎日書き綴っている日記が軸となっており、随所に夢千代が日記の一部を読んでいるナレーションが盛り込まれている。また、湯村を訪れる謎の人物がシリーズ毎に登場し、次第にその過去が解き明かされていくというミステリー的な魅力もある。
ドラマ誕生の秘話
作者の早坂暁さんは、海軍兵学校の生徒だった15才の時、原爆投下から17日目(1945年8月23日)の広島で、何十万という屍体から、何百、何千の燐火が燃えているすさまじい光景に出会い、茫然と立ちすくむ。
 だが、その時、廃墟の街から赤ン坊の泣き声が聞えた。ああ、こんな死の街にも、すでに生命が誕生しているのか。しかし、はたして、あの子供は生きていけるのだろうか‥…。
 それから三十数年後、早坂さんはNHKから、吉永小百合さんのために、脚本を書いてくれと頼まれる。
「小百合さんは、昭和何年生まれですか?」「私は、昭和20年生まれです」「へえ−、敗戦の年に生まれたの!」それで『夢千代日記』の"核"が出来た。
「・・・小百合さん、あなたは、あの時の広島の赤ン坊です。そう思ってドラマを書いてみます」。こうして、『夢千代日記』が書き出されたのである。
 ちなみに『夢千代』という名は、山陰の温泉地で実在する芸者の名で「とてもいい名前だったので、主人公の名にした」そうである。
『夢千代日記』のモデル地湯村温泉(兵庫県)は、"夢千代の里"として売り出し、今でも多くの観光客で賑わっている。
(講演会のプログラムより抜粋)